告知の翌日にかかってきた電話
乳がんと告知された翌日、先生から電話がありました。
前日はまだ一部結果が出ていなかった病理検査の結果が判明し、「HER2陽性」だと説明を受けました。
そしてその電話で、4日後に入院することも決まりました。
入院初日にポート造設、翌日に初回抗がん剤治療。
突然すぎて、もう何が何だか分かりませんでした。
心の準備なんて全くできなかった
自分ががんに罹患した実感なんて、まだ全くありませんでした。
でも、入院まではたった4日。
心の準備をする時間なんてありませんでした。
ただ、
「やるしかない」
そう思うしかありませんでした。
やっと待ち望んだ子どもが産まれたばかり。
「まだ死ぬわけにはいかない」
その気持ちだけでした。
産後の身体のまま、治療へ向かうことになった
もちろん、産後の身体はまだ全然回復していませんでした。
寝不足の毎日で、身体も痛く、思うように動けない状態でした。
それでも、「治療を頑張ろう」と腹を括りました。
抗がん剤治療までにできることを必死に考えた
限られた時間の中で、
「今、自分に何ができるだろう」
そればかり考えていました。
私は本当は完母で育てたかったです。
でも、それはもう叶わない。
それでも少しでも長く母乳を飲ませたいと思い、搾乳を徹底して頑張ることにしました。
寝る間を惜しんで搾乳した
母乳は、長く飲めば飲むほど良いと聞いたことがありました。
だから1回量が少なくても、できるだけ長い期間飲めるようにしたいと思いました。
治療開始までのわずかな日数、私は寝る間を惜しんで搾乳しました。
授乳して、搾乳して、哺乳瓶と搾乳機を毎回消毒して。
産後の身体には本当にきつかったです。
それでも、「子どものため」と思って頑張りました。
母乳をあげられる時間を噛み締めた
治療が始まれば、もう母乳はあげられなくなる。
そう思うと、授乳の時間がとても特別に感じました。
子どもに母乳をあげている姿を、毎回目に焼き付けるように過ごしました。
愛おしくて、涙が出ることもありました。
冷凍母乳を必死に準備した
私は、子どもが2か月になる頃まで毎日40mlは母乳を飲めるよう、冷凍ストックを作りました。
少しでも母乳を残してあげたい。
その一心でした。
入院前にまとめたメモ
入院中、子どものお世話は母と主人にお願いすることになっていました。
搾母乳の解凍方法。
ミルクの作り方。
授乳のこと。
お世話の流れ。
全部メモに書きました。
ちゃんと伝わるように、必死にまとめました。
「自分がいなくても困らないように」
そんなことまで考えていたのを覚えています。

コメント